両容疑者は10月末に釈放された後、すぐにISISに連絡した。2000ユーロ(約23万円)の資金が送金され、2人は難民として北上を続けた。ウスマン容疑者はウルドゥー語しか話せず、ハッダディ容疑者もほとんどアラビア語だけだ。ウスマン容疑者の携帯電話には、移動中に20件ほどのアダルトサイトを閲覧していた形跡が残っている。
両容疑者の携帯電話には、欧州や中東各地にいる何十人もの連絡先が記録されていた。
パリ同時テロ翌日の11月14日、両容疑者はオーストリアのザルツブルクに到着した。難民申請の手続きを済ませて市内の難民センターに入り、そこで何週間か待機した。別のテロ計画に参加する予定だったとみられ、パリへの列車を調べたり、ベルギーやフランスに電話をかけたりしていた。捜査当局によると、2人はこの時、アビド・タバウニ容疑者というモロッコ人の合流を待っていたとみられる。
タバウニ容疑者の名前は、捜査の過程でハッダディ容疑者の供述や携帯電話のデータから初めて浮上した。
調べによると、タバウニ容疑者はハッダディ容疑者らと同じようにシリアから難民に紛れて北上し、12月10日にザルツブルクの難民センターに入った。ちょうどこの日にオーストリア治安当局が同センターを急襲し、パリ同時テロの実行犯と関わっていた疑いでハッダディ、ウスマン両容疑者らを逮捕した。タバウニ容疑者はこの時姿を消していたが、同容疑者の携帯電話がハダディ容疑者のベッドのわきで充電されているのが見つかった。