ロシア、ポチョムキンの遺骨をヘルソンから移動 プーチン氏の崇める18世紀司令官
(CNN) ウクライナ南部ヘルソン市の親ロシア派当局は29日までに、18世紀のロシアの著名な司令官、グリゴリー・ポチョムキンの遺骨を市外に運び出したことを明らかにした。
ロシアが任命したヘルソン州のサルド知事がクリミア半島のテレビに語ったところによると、ポチョムキンの遺骨と彫像は聖カタリナ大聖堂から運び出され、ドニプロ川を越えてロシア支配地の奥深くに移された。
サルド氏はロシア国営RIAノーボスチ通信に対しても、ポチョムキンの遺骨を聖カタリナ教会から運び出し、ドニプロ川東岸に移したと明らかにした。
ポチョムキンは1783年、トルコからのクリミア併合で重要な役割を果たした。帝国時代の版図の回復を目指すロシア人にとって、ポチョムキンの記憶は今なお中心的な位置を占める。プーチン大統領はポチョムキンのレガシー(遺産)に大きく依拠して2014年のクリミア併合を正当化した。
サルド氏によると、フョードル・ウシャコフやアレクサンドル・スボーロフ、ワシーリー・マルゲロフといった軍司令官の記念碑も教会から撤去され、非公開の場所に移された。ヘルソン市の安全が確保されれば元の場所に戻す方針だという。
ポチョムキンは18世紀の政治家、陸軍司令官で、エカテリーナ2世の寵臣(ちょうしん)にしてその顧問でもあった。クレムリン(ロシア大統領府)ではウクライナ侵攻開始以来、何度かポチョムキンの名前が出ている。直近ではプーチン大統領が新領土併合を記念する式典でポチョムキンに言及。併合地域を「ノボロシア(新しいロシア)」と形容しつつ、ウクライナ東部の新都市の建設者の一人としてポチョムキンの名前を挙げた。
クリミアは1783年、オスマン帝国との和平合意の結果、ロシアに初めて併合された。その後ポチョムキンは陸軍元帥の階級を与えられ、クリミア半島にセバストポリを建設、同市はロシア海軍の主要基地になった。ポチョムキンが新設した黒海艦隊は第2次露土戦争におけるロシアの成功に重要な役割を果たした。