自分の居場所に砲撃の要請も、ロシア軍の包囲を生き延びたウクライナ軍兵士
包囲されて
それから3日間、セルヒーさんは敵に包囲されたまま塹壕に身を隠した。ロシア軍の部隊は刻一刻、セルヒーさんのいる場所に近づいてきた。ロシア兵の声はセルヒーさんの耳にも届き、向こうの手の内が伝わった。
生きて帰れないと思ったセルヒーさんは、無線で司令官に連絡し、小声で敵の座標を伝えた。自分がいるまさにその場所に砲撃の要請を出したも同然の行為だった。
セルヒーさんのおかげで、ウクライナ軍は正確な砲撃をたびたび遂行した。だが、セルヒーさんの周りに集まるロシア兵の数も増した。
「周りは敵だらけだった」とセルヒーさんは語った。「敵に声が聞こえないタイミングで、無線で座標を小声で伝え、軍が敵を砲撃した」
ある時、ロシア兵の1人が塹壕に降りてきて、セルヒーさんは命運尽きたと観念した。兵士がどこからきたのかと尋ねると、セルヒーさんは脳震盪(のうしんとう)を起こしたのだとロシア語で答え、水をくれと言った。ロシア兵は水を与えなかったが、セルヒーさんがウクライナ人だとは気づかなかったらしく、塹壕からはい出ていった。
「私がウクライナ軍だとなぜ気づかなかったのか、いまだに理解できない。私はウクライナ軍の戦闘服を着ていたし、パンツも迷彩柄だった。もちろん汚れていたが、ウクライナの軍靴だったのは明白だった」
セルヒーさん救出も万策尽き、最終的に司令官も、自力で塹壕を這い出してあとは祈るしかないとセルヒーさんに命じた。
「周りにロシア人がいる塹壕からはい出ていかねばならなかった。左手に無線機を握りしめ、匍匐(ほふく)前進した。途中で手榴弾がくくりつけられた仕掛け爆弾に出くわした。無線で司令官が指示を出しているのが聞こえたが、応答できなかった。無線機のバッテリーも切れかかっていた。司令官が前進しろと叫んでいた。ようやくウクライナ軍の陣地までたどり着いたが、無線の向こうでは『フィン、進み続けろ』という声が聞こえていた」
セルヒーさんが療養期間に入って2週間が過ぎた。温かい病棟に腰を下ろしながら、塹壕で雨水をなめ、夢にまで見るほど水を欲していた時のことを振り返る。
CNNとの取材で自らの体験を語ったセルヒーさんは、英雄的な行為でもなんでもないと考えている。
「前線で他の兵士がしていることに目を向けるべきだ。兵士たちがいかに戦い、撤退し、仲間を救出しているか。みな非常に高い代償を、血の代償を払っている。私が望むことはただ一つ、仲間たちと魚釣りをしながらビールでも飲んで、ただ黙って座っていたいだけだ」