拳銃ブランドの生みの親、ガストン・グロック氏が死去 94歳
ニューヨーク(CNN) 自らの名を冠した拳銃を発明し、ブランドとして広く流通させたガストン・グロック氏が27日に死去した。94歳だった。
グロック社がウェブサイトで発表した。死因その他の詳細は明らかにしなかった。
同社によるとグロック製の拳銃は米国の連邦、州、地方に属する各機関の65%で使用されている他、映画や書籍、ヒップホップの歌詞など主流文化の題材として取り上げられることも多い。
グロック氏は、オーストリアでエンジニアとしてのキャリアを踏み出した。同社ウェブサイトによると、1963年にグロック社を立ち上げた。
銃器を手掛けた経験は限られたものだったが、自身のガレージ内に設置した金属加工の作業場で当該の拳銃を発明した。この作業場では刃物やカーテン棒を製造していた。
80年代初めに、半自動拳銃をオーストリア軍のために開発した。この拳銃は軽量で、従来のスチールではないポリマーフレームを採用。17発の弾丸を装填(そうてん)可能だった。
だが製品として恐らく最も物議を醸した側面は、「セーフアクション」と呼ばれる機能だろう。これは即座に発砲準備が整うよう設計された機能だが、同時に意図せぬ軽率な発砲が増える結果も招いたと、銃の安全に携わる活動家らは主張している。
80年代半ばまでに、グロック製の拳銃は米国市場に参入した。
米国ではアクション映画の主役の小道具や有名ラッパーの歌詞に登場する一方、凄惨(せいさん)な銃乱射事件で凶器として使用されるなど、様々な場面で製品のイメージが広く浸透することになった。
2007年にバージニア州工科大学で起きた銃乱射事件では、凶器の2丁の拳銃のうち1丁がグロック製だった。15年にサウスカロライナ州チャールストンの黒人教会で白人男性が銃を乱射し、9人を殺害した事件でも、犯行にグロックの拳銃が使用された。
グロック氏は最初の妻のヘルガ氏と1962年に結婚したが、2011年に離婚した。