これぞ米国の国民食、ホットドッグの歴史を振り返る
(CNN) 今やホットドッグが、米国文化のナラティブ(物語)の一部であることに異論はないだろう。
特に今年はかつてないほどホットドッグの人気が高まっており、データ会社IRIによると、バーベキューシーズンが始まるはるか前の3月にホットドッグの売り上げが127%も増加したという。
3カ月余りで70億本
全米ホットドッグ・ソーセージ評議会(NHDSC)のエリック・ミッテンタール会長によると、「米国人は、メモリアルデー(5月の第4月曜日)からレーバーデー(9月の第1月曜日)までの間に推定70億本のホットドッグを食べる」という。
思わず手を伸ばしたくなる、米国名物のホットドッグ/Courtesy of National Hot Dog & Sausage Council
ホットドッグは「典型的な米国の食べ物」と思われるかもしれないが、もともとはそうではない。
このケーシング(表皮)に肉を詰めて作るソーセージは「フランクフルター」とも呼ばれ、当初はドイツの街、フランクフルト・アム・マインが発祥地と考えられていた。しかし、ホットドッグ史の研究者たちは、東欧、特にドイツで生まれたソーセージ文化は、特定の街で生まれたわけではないと主張する。
シカゴにあるルーズベルト大学の名誉教授で、ホットドッグ史を研究するブルース・クレイグ博士によると、たしかにフランクフルトという名前は、このソーセージが生まれた地域を指しているが、必ずしもフランクフルトの街が発祥地というわけではないという。
1800年代半ばにドイツからの移民によって米国に持ち込まれたホットドッグは、サンドイッチが大好物で、当時すでに歩きながら食べるのが好きだったニューヨーク市民に最適な食べ物だった。
路上でソーセージを食べるというドイツ人の発想は、アメリカ人の心をわしづかみにした、とクレイグ博士は言う。
屋台のホットドッグ売りについては、1860年代までには確実に存在した証拠があり、1840年代にすでにいた可能性もあるという/Courtesy of National Hot Dog & Sausage Council
そして1867年、ブルックリン地区の南端に位置するコニーアイランドで、ブルックリン出身の起業家精神あふれるパン職人チャールズ・フェルトマンが、改造したパイ販売用の屋台でホットドッグの販売を始めた。
ホットドッグ用バンズの誕生
チャールズ・フェルトマンは、手で細長く切り分けたバンズを開発した。これが現代のホットドッグ用バンズの前例となる。
その後、ホットドッグ人気が急上昇すると、フェルトマンはさらに高い目標を掲げ、レストランやホテルと提携関係を結び、1873年にコニーアイランドに広大なリゾートをオープンした。
ホットドッグとビールは、コニーアイランドの夏の風物詩だ/Channon Hodge, CNN
コニーアイランド・ヒストリー・プロジェクトなど、コニーアイランドの歴史に詳しい多くの情報筋によると、フェルトマンのレストラン「オーシャン・パビリオン」には1920年代まで年間約500万人の客が訪れた。1日に売り上げたホットドッグの数は約4万本に上ったという。
コニーアイランド
フェルトマンの巨大なリゾートに加え、コニーアイランド行きの地下鉄が開通したことにより、コニーアイランドは重要な観光地となった。そして、ホットドッグはこの重要な文化的瞬間の中心にあった。
フェルトマンのリゾートは徐々に衰退していったが、本人は自分でも気づかない間に、後にアメリカのホットドッグ文化の象徴となる偉大な人物を見出していた。
当時、パンを切り分ける機械を持っていなかったフェルトマンは、ネイサン・ハンドワーカーを雇い、ホットドッグ用にパンを切り分ける仕事をさせていた。そしてこの人物こそが、後に米国で最も有名なホットドッグ販売業者の1人になる。
ネイサン・ハンドワーカーは、1916年に自身のホットドッグブランド「ネイサンズ・フェイマス・ホットドッグス」を立ち上げた。今やこのブランドは、コニーアイランドで販売されているホットドッグの代名詞となっており、毎年7月4日の独立記念日には、コニーアイランドでネイサンズ主催のホットドッグ早食い選手権が開催されている。
コニーアイランドきってのブランドに成長した「ネイサンズ・フェイマス・ホットドッグス」/Channon Hodge, CNN
トッピング
無論、19世紀後半にホットドッグが根付いた場所はニューヨークだけではない。「移民が各地に分散するにつれて、ホットドッグも全米に広がった」と、エリック・ミッテンタール氏は言う。
「シカゴスタイルのホットドッグが根付いたのは世界大恐慌の時だ。当時、ホットドッグの屋台ではさまざまな種類のトッピングが提供され、客はそれをホットドッグの上にたっぷりのせて食べた。シカゴ以外の場所でも、独特なホットドッグが売られていた」(ミッテンタール氏)
トッピングにより各地のホットドッグには違いがあるが、唯一共通しているのは手頃な値段だ。おいしくて、食べ応えがあり、そして安い。それはどの都市でも変わらない。それこそが場所を問わず、ホットドッグが人気である理由だ。
ドイツ人の移民は、デトロイト、ミルウォーキー、そして後にロサンゼルスへと、米国中の都市に自分たちのソーセージへの愛情を広げた。
ドイツ人が行く所には必ずホットドッグがあった。無論、ニューヨーク市民はこう反論するだろう。「歩きながら食べるのに最適」というホットドッグの特徴は、彼らの街でこそ効果を発揮する。だからこそ、ニューヨークにホットドッグが根付いてから100年以上が経過した今も、「ホットドッグはニューヨークの食べ物」と広く考えられている、と。