「フランス代表を応援するため」自転車でパリからドーハへ カタールW杯
自転車の修理工場を探すため、15時間かけてサウジアラビアのリヤドまで移動し、そこからまた15時間かけて元の地点に戻ったこともあったと笑う2人。
「トラブルはたくさんあったが、その都度解決してきた。今回のような旅では、柔軟さが問われる。事実、旅の主要部分で柔軟性を持って、あらゆる状況にもベストを尽くして適応することが求められた。実際、うまくいったと思う」(マルタンさん)
旅路の大半を2人だけで、どこまでも続くさまざまな地形の道を自転車で走った。だが、時には現地の人と食事を共にし、その国の文化に浸ることもあったという。
サウジアラビアでは灼熱(しゃくねつ)の砂漠に挑み、ハンガリーでは浸水した森林地帯に挑んだ。道中、睡眠を取るためキャンプ場やロッジ、ホテルに立ち寄りながら、カタールまでの変化に富んだ道を走り続けた。
この挑戦は2人にとって、肉体的には足が慣れてからはそれほど大変ではなかった。精神的には、他人の優しさに支えられたという。
「最高のひとときはたくさんあった。欧州横断を終えた時もその一つ。本当に素晴らしかった。私たちは(トルコ・)イスタンブールの欧州側から橋を経由してアジア側に渡った」と語るバラミッサさん。
「通常、自転車で渡ることは禁止されている。だが、地元の警察と何時間も交渉したら、警察が橋まで同行して私たちを守ってくれた」とマルタンさん。道中で出会った人たちはとても寛大で親切だったと、彼は振り返る。
「クレージー」な旅の「特別」なエンディング
2人は、旅のもう一つのハイライトが、エルサレムでのサイクリングだったと意見が一致した。
最終目的地のカタールに近づくと、20人近くのフランス人やカタール人のサイクリストが加わり、最後の行程を共に走った。そして、カタールに到着すると世界のメディアやカタール在住のフランス人コミュニティーの人々が2人を出迎えた。
この3カ月間、孤独に過ごしてきた2人にとって、これほど多くの人に囲まれることは大きな驚きだったという。
「カタールに着いた時は、このクレージーな旅と楽しかったライフスタイルの終わりを意味するので、この上なく特別な気分だった」とバラミッサさんは語る。
2人はフランスが勝ち続ける限りカタールに滞在し、その後は飛行機で帰国する予定だ。
しばらくはフランスに戻ることはないだろうと、2人とも希望に満ちている。
「もちろんフランスは勝つから、決勝戦までいるつもりだ」とマルタンさんは冗談を言う。「そうでなければ、自転車でここまで来ることはなかった」