6歳男児、就寝中に銃撃され死亡 比「麻薬戦争」の犠牲に
フランシスくんとマニョスカさんのひつぎが置かれた路上では、友人たちが葬儀費用の900ドル(約10万円)を集めようとしていた。この額は自転車タクシー運転手をしていたマニョスカさんの年収の3倍に当たる。
フランシスくんのひつぎの上を歩く2羽の生きたヒヨコは、遺族が公正な司法手続きを求める象徴だった。
ナバロさんによると、フランシスくんは来年から小学校に上がるはずだった。物乞いをするスラムの子どももいる中で、フランシスくんはいつも笑顔でダンスを踊り、1ペソを稼いでいたという。
マニョスカさんの母親によると、マニョスカさんは29歳の時から覚醒剤を使うようになった。フィリピンの貧困層の間では、活力を高めて飢えを押さえる目的で覚醒剤を使う人が多い。
しかしマニョスカさんはドゥテルテ大統領が麻薬戦争を宣言した半年前に覚醒剤の使用をやめて警察に出頭した。警察は調書を取ってマニョスカさんを釈放し、以後、覚醒剤は使っていなかったという。