難民キャンプで生まれた女性、世界一周単独飛行に挑戦
その時からワイツさんは夢を描き始めた。コミュニティー・カレッジ(地域住民向けの2年制大学)から航空大学へ進み、家族の反対を押し切ってパイロットを目指した。
おじからは「操縦席は女の座る場所ではない」と言われ、祖母からは「空を飛ぶような女性と結婚してくれるアフガン人男性なんていると思うの」と問い詰められた。
ワイツさんは常に、米国とアフガンの2つの文化に身を置いて育った。米国の学校に通っても、家で話すのはアフガンの言葉。パイロットの訓練を受ける間も門限を言い渡されていた。「両親からいつも、お前はアフガン人だと言われていた。米国人だという自覚はなかった。でもたまにアフガンのいとこたちと話をすると、米国人だと思われる。自分がいったいだれなのか混乱していた」
しかし空を飛べば、そんな混乱は消えた。「飛行機はただパイロットの技能に反応して飛ぶだけ。飛んでいる間、私はだれでもなりたい人になれるのです」
世界一周の途中で初めてアフガンへの里帰りも果たした。首都カブールに3日間滞在し、大統領と首相に会い、親戚一同と対面した。
「たくさんのいとこや女の子たちに会って気付いたのは、みんなが大きな望みを抱き、何かやりたくてたまらない気持ちだということ」――その一方で父親の同伴がなければ外出できないなど、アフガンの若い女性には制限も多い。
ワイツさんはパイロットや科学技術の分野で次世代の女性たちが活躍できるよう、非営利組織(NPO)を立ち上げた。カブールを訪れてからは新たに「アフガンの少女たちのために科学技術専門の学校をつくる」という夢もできた。
初めてのフライトで恐る恐る飛び立ったあの日から、ワイツさんの世界は開けた。「かつて地理の本でスリランカやインド、ギリシャ、イタリアのことを読んでいた頃、その国々はただ本に書かれた名前にすぎなかった。でもあの座席に座り、あの飛行機が飛び立った時に思ったのです。そんな名前がいつか、思い出になる日が来るかもしれない、と」