英エリザベス女王の葬儀の計画は? 読者の疑問に答える
(CNN) 英国で新たな時代が夜明けを迎える中、エリザベス女王への最後のお別れの準備が進んでいる。
英国君主として歴代最長となる在位期間を記録した後、エリザベス女王は8日、スコットランドのバルモラル城で息を引き取った。息子のチャールズ新国王は、9日から女王の葬儀の7日後まで王室が喪に服することを求めた。バッキンガム宮殿が声明で明らかにした。
声明によると、葬儀の日取りは「そのうちに」確定する。今後数日のうちに起こると思われることを以下に挙げる。
女王の棺はどのようにしてロンドンへ戻るのか?
現在女王の遺体をロンドンまで運ぶ準備が進められている。棺(ひつぎ)はまずバルモラル城を出発し、エディンバラのホリールード宮殿に向かう。同宮殿はスコットランドにおける英国君主の公邸。
その後棺は行列と共にエディンバラのセントジャイルズ大聖堂に向かい、そこに安置された後でロンドンへと移される予定。棺がどのようにして南下するのかは現時点で分かっていない。鉄道と空路のいずれも利用可能となっている。
一般の人々による追悼はどのように行われるのか?
歴史的な前例を参考にすれば、女王はロンドン到着後、ウェストミンスターホールに安置される公算が大きい。11世紀に起源を持つこのホールは、ウェストミンスター宮殿の中でも最も古い箇所となる。
過去の君主の棺は「カタファルク」と呼ばれるホール中央の台の上に安置されてきた。これを近衛兵、近衛歩兵連隊、あるいは王室騎兵乗馬連隊が24時間体制で警護する。
2002年にエリザベス王太后の棺が安置された際には、当時のチャールズ皇太子をはじめとする孫たちが警護に加わった。
ジョージ5世の棺についても、息子たちが警護に立ったという。エリザベス女王の棺の警護に王室のメンバーが立つ可能性があるのかどうかは確認されていない。
棺はそこに数日とどまるとみられる。その間一般の人々が並んでその前を通り過ぎ、君主の棺を眺めることが可能になる予定。数千人が列をなすと予想される。追悼のため、前の晩に野宿して並ぶ人もいるかもしれない。
女王の葬儀はどのようなものになるとみられるか?
君主として、エリザベス女王の葬儀は公費による国葬とすることが認められている。場所はウェストミンスター寺院で向こう2週間以内に行われる予定だが、具体的な日取りが決まるのはまだ先となっている。
同寺院は960年にベネディクト会の修道士によって建てられた。ロンドンで最もよく知られた名所の一つであり、年間を通じて戴冠(たいかん)式や結婚式、葬儀など王室の節目となる式典の舞台となっている。
出席者のリストは未発表だが、世界中の国家元首や政府要人がロンドンを訪れ、エリザベス女王の生涯と70年にわたる国家への奉仕を称賛する予定とみられる。女王が任命した元首相らや国会議員らの一部も姿を見せることになるだろう。
軍の高位の役職を保有する王族や君主の配偶者、王位継承者の場合は通常国葬ではなく儀礼葬が行われる。エリザベス女王の夫であるフィリップ殿下の昨年4月の葬儀がこれに該当する。
2013年の下院の説明によると、国葬と儀礼葬の主な違いは前者が議会の承認を必要とすること、また棺を運ぶ砲車を引くのが馬ではなく海軍兵士であることだという。
海軍兵士が砲車を引くこの伝統は、1901年1月のビクトリア女王の国葬から始まった。王室の公式ウェブサイトによると、「砲車を引く予定だった馬たちは寒い中じっとしていられず、危険な行動を取るようになっていた。そこで海軍兵士の一団が役目を引き継ぎ、砲車をセントジョージ礼拝堂まで引いていった」。
君主ではない人物が国葬の栄誉に浴した事例もいくつかある。物理学者のニュートンや軍人として功績のあったネルソン提督と初代ウェリントン公爵、政治家のチャーチル元首相などだ。
チャーチルが65年に死去した際には、エリザベス女王自ら戦時の指導者としての功績を強調する文書を議会に提出している。
女王はどこに埋葬されるのか?
葬儀の後、女王の棺はロンドンから最後の旅に出発し、ウィンザーへ向かう。目的地はウィンザー城の敷地内にあるセント・ジョージ礼拝堂だ。
フィリップ殿下の葬儀や女王の孫たちの結婚式はここで行われた。
フィリップ殿下の棺は、葬儀の後多くの王室メンバーが眠る礼拝堂下の地下墓所に降ろされた。しかしエリザベス女王の死去に伴い、フィリップ殿下の棺は場所を変えると予想される。夫妻の棺は礼拝堂内にあるジョージ6世記念礼拝堂にそろって埋葬されるとみられる。