謝れなくてゴメンナサイ 謝罪に失敗する企業とは
だが日本社会では、CEOが謝罪により個人的に責任を取っているとは見なされず、「今回の件が起きてしまって残念です」といった意味合いとなる。
ハーバード・ビジネス・レビュー誌は、「米国人にとって謝罪は過失を認めることに等しいが、日本における謝罪は傷ついた関係を修復しようという意思の表明であり、必ずしも責任を認めるものではない」と分析する。
欧米社会では、謝罪が個人的なものなのか企業を代表しているのかが焦点となることが多い。個人の責任逃れが追及される一方で、企業の場合は批判を免れやすい。米国の経営陣がうまく謝ることはできないのは、この点に原因がありそうだ。経営者は個人として責任があると考えず、社会の側でもこうした企業を見逃しがちだ。
もっとも、責任の有無にかかわらず、うまく謝る術を身につけることで企業が得るものは大きい。医療が好例だ。米国では、高額の医療過誤訴訟を避けるため、医師は過失について謝罪しない方が良いとされていた。だが、謝罪する医師を法的に保護する州が増え、謝りやすくなった結果、訴訟件数も賠償金額も減った。
被害者の望みはあくまで認知されることにあったからで、企業もこの点に留意する必要がありそうだ。