よみがえるブラックパンサー、米社会に根強い影響
パンサー党はこうしたパフォーマンスの先駆者だった。当時の公民権運動はよそ行きの服を着て抗議の歌を歌うような上品な形が多かったが、パンサー党のパフォーマンスはそれらを横に追いやった。
米国で表舞台に登場した際の党員の身ぶりは、大胆極まりなかった。カリフォルニア州議会で1967年の審議が行われている際、弾を装填した銃を持ってフロアに現れた。同党に活動を標的にした法案への反対を示す行動だった。このニュース報道により同党は一躍、注目を浴びた。
こうした行動は強烈なイメージを生み出すパンサー党の能力を示している。「ブランディング」という言葉がはやる前から、パンサー党員はその方法を知っていた。この時代、他の黒人武装闘争グループは写真家の接近すら嫌がっていたが、「彼らは大勢のカメラマンを引き連れて行動していた」と歴史家は指摘する。
ニュートンがライフル銃とアフリカの槍(やり)を持っていすに座るポスターも、ヒット曲のように全米の黒人社会に広まった。ソーシャルメディアなどない時代から、同党はすでに印象的な画像を拡散するすべを身につけていた。
ただ、パンサー党が黒人の武装闘争を作り出したわけではない。武装闘争を唱えるグループは公民権指導者のマルコムXの登場とともに増えた。「革命」を標ぼうする彼らだったが、パンサー党のようにメディアを利用して主張を広める手法を持たず、全ての勢いをパンサー党に持っていかれたと見る専門家もいる。
だが、パンサー党の大胆な態度は誤解も招いた。多くの人々が同党は白人を嫌っていると信じてきた。しかし、党の指針には白人嫌悪は含まれておらず、米国内外で白人やアジア系、中南米系の政治組織と提携してきた。創設者の一人は「肌の色で人を嫌いになることはない。我々が嫌うのは弾圧だ」と語る。