世界の11の暗殺現場
7.ロシア・サンクトペテルブルク・ユスポフ宮殿(グリゴリー・ラスプーチン暗殺、1916年12月)
ロシアの宮廷貴族らは、あごひげを生やした熊のような大男で、不思議な癒しの力を持つと自ら主張するラスプーチンが、ロシアの王族に対し過度の影響力を及ぼし始めたことに危機感を抱いた。そしてある晩、ユスポフ宮殿でラスプーチン殺害計画が実行された。
しかし、これが一筋縄ではいかなかった。最初に毒入りケーキを食べさせたが殺害できず、2発の銃弾を撃ち込んでも生きていた。その後致命傷となる銃撃を受け、殴る蹴るの暴行を受けた後、念を入れて凍り付いた川の中に投げ込まれた。
現在、ユスポフ宮殿の黄色い優雅な建物は博物館として一般公開されている。ラスプーチン暗殺に関する展示品もあり、英語とロシア語のツアーも行われている。
8.ボスニア・サラエボ・ラテン橋付近(アーキデューク・フランツ・フェルディナント皇太子暗殺、1914年6月28日)
オーストリア・ハンガリー帝国のフェルディナント皇太子を暗殺したガブリロ・プリンツィプは、裁判で自分は同国からの独立を目指すユーゴスラビアの民族主義者だと述べた。
プリンツィプは、オーストリアのフェルディナント皇太子の車が止まる直前、サラエボのラテン橋からすぐの脇道にある食料品店の外に立っていた。当時まだ19歳だったプリンツィプは、皇太子の首を撃ち、さらに皇太子の妻ゾフィーの腹部を撃った。皇太子夫妻はボスニア総督官邸に運ばれたが、2人とも死亡した。このサラエボ事件がきっかけとなり、第1次世界大戦が始まった。
現在、事件現場となった交差点の角にサラエボ博物館がある。